空の青さを知る人よ
時折ふと思うことがある。
子どもの頃の自分と今の自分は本当に連続しているのだろうか、と。
記憶は共有している。確実に覚えている。
でも、心は入れ替わるものだ。人の考え方は時を経て180度変わりうるものなのだ。
昔、赤が好きだった私。今、青が好きな私。
それらは私という箱に入った別物であるのではないか、などと考えてはいつも途中で思考を放棄する。
見上げれば、今も昔も、青い空が広がっている。
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映画『空の青さを知る人よ』を観てきた。
13年後の未来にタイムスリップしてきた18歳「しんの」という少年と、現在31歳の彼、慎之助が同じ世界線に存在し、向き合う。
これが話の軸だ。その周りで主人公たちと関わり、愛だとか、恋だとか、青春の光を取り戻す話が展開される。青春群像劇に欠かせない恋愛要素も楽しめる映画であったが、それはそれとして。
夢見る18歳と中途半端に夢を妥協した31歳。
そしてその間に立つ22歳にあと2日に迫った私。そんな構図で物語を眺めた。
現在絶賛就活中の私。自分という人間に嫌というほど向き合わされる日々を送っている。
18歳の頃の私も、思えば真っ直ぐに、未来を微塵も疑わずに追いかけていた。
映画の中で幾度となく出てきたガンダーラの歌詞。
「そこに行けば
どんな夢も かなうというよ」
知らず知らずのうちに思い込んでいた。
この街に、東京に、夢を叶える魔法が掛けられていると。
そうして大学に進学して一年目。
「井の中の蛙、大海を知らず」
そんな言葉が毎日毎日私の身体に漬物石の如くのしかかっていた。
思うように足を運べない、無情に過ぎ去る日々。半ば夢に裏切られたようなそんな気がしていた。自分の弱さを受け止められるほど大人にもなりきれていなかった。
だからいつも環境のせいにして逃げた。
閉じられた田舎から飛び出した果てだった東京がいつしか皮肉にも、逃げ場のない牢獄のような存在になってしまっていた。
透明な空気を吸い込んで真っ直ぐに育ってきたはずの私にこれでもかと流れ込んでくる澱んだ空気。酸欠状態だった。
逃げ場を探すことばかりに気を取られているうちに前に道が見えなくなった。
そして、予定調和的に留年することとなる。
人生初めての大きな挫折だった。
現実は、非情だ。
しんのと慎之助の別人のような姿は、そんな自分の姿に重なるものがあった。
しんのは、13年後の不甲斐ない慎之助を責める。
慎之助はそんな真っ直ぐなしんのに腹を立てる。
劇場で、小さな子どもが母親にこう尋ねていた。
「どうして慎之助はしんのに怒ったの??」
なんだか目を背けてきた物を投げつけられたような気がした。
まだ夢と現の区別もつかない小さな子どもの無垢な疑問。
しんのに対して腹を立てる慎之助に、当然のように感情移入してしまっていた私。
慎之助は、しんのである。紛れもなく。たくさんの現実を突きつけられ、考え方が変わってしまっても、どこかに必ず変わることのない、真っ白な心と滲んでしまった青い思い出が残っているのだ。
そして、私も、いくつになっても私であることに変わりはないのであろう。心のどこかで息を潜めた夢追う私を思い出させてくれた、そんな映画だった。
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「井の中の蛙、大海を知らず」
この言葉の後に、こう続けたものがいる。
「されど、空の青さを知る」と。
現実を知った。多分大人になった、なってしまった。
それでもあの頃見ていた空の青さを忘れてはいないし忘れてはならないんだと思う。時に雲が空を覆ったとしても。
今日も変わらず青空は広がっている。