事実は小説よりも奇なり
2020年11月29日
日本中の競馬ファンの視線が薄曇りの東京競馬場に注がれていた。
第40回ジャパンカップ
それはまさに「伝説の一戦」として日本競馬史に永遠に残っていくに相応しいものであった。
「新たな歴史を作る馬」
2018年秋華賞、圧倒的な末脚で外から一気に他馬を置き去りにし、平成最後の三冠に輝いたアーモンドアイを称え、そして彼女の輝かしい未来への期待を込めて実況の川島壮雄はそう謳い上げた。
そして今年。
シンボリルドルフも、ディープインパクトも、キタサンブラックも成し遂げられなかった芝GⅠ8勝目を挙げ、本当に新たな歴史の扉を開いてみせた。
しかし
日本の競馬ファンが異論なくアーモンドアイの強さを認め、称えていた訳ではなかったのではないだろうか。
事実、ヴィクトリアマイルは彼女にとって役不足の舞台であった。
最強の名を欲しいままにするために、彼女には倒さなければならない相手が2頭いた。
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2020年
世界中の人々にとって悲壮に満ちた年となってしまったが、日本競馬にとっては奇跡の年として後世の語り草となるだろう。
デアリングタクト、そしてコントレイル。
新たな時代を担う馬が2頭現れた。
史上初の同一年牡馬牝馬三冠、史上初の牝馬無敗三冠、史上初の父子無敗三冠。
初めて尽くしの大偉業は、コロナ禍に苦しむ日本国民を奮い立たせてくれた。
そして両馬は三冠達成後の一戦にジャパンカップを選択した。
史上初の無敗の三冠馬対決の実現である。
当然大きな注目を集めたが、その後このレースは、さらに歴史的な大一番となることが決まった。
そう、アーモンドアイの参戦である。
芝GⅠ8勝という輝かしい実績を残したアーモンドアイの最後に残された使命こそ、後輩三冠馬2頭との直接対決による最強馬決定戦であった。
三冠馬3頭の競演。
過去、同じ時代に三冠馬3頭が存在したのはこれを除いて一例のみ(アパパネ、オルフェーヴル、ジェンティルドンナ)であり、それらが同一レースに出走することは初めてだ。
向こう10年、いや50年は再現されないであろう大一番。
日本中の競馬ファンがその顛末に想いを馳せた。
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運命の1日がやってきた。
出不精の私であるがこの日だけは早く起き、新宿のWINSへ足を運んでアーモンドアイ、コントレイル、デアリングタクトの応援馬券を購入した。
歴史の目撃者になった証を、どうしても形に残したかったからである。
冷たい風がビルの間を吹き抜ける新宿の朝、一箇所だけ別世界のように熱気渦巻く大行列のWINSの様子を目の当たりにして、いかにその日が特別な1日なのか再認識し、早くも興奮を抑えることができなくなっていた。
そしていよいよスタートの時がきた。
果たしてゴール前は三冠馬3頭の叩き合いとなるのか。
3頭の応援馬券を握り締めて私はレースを見守った。
スタートからハナを切ったキセキは大逃げを打ち、後続を大きく突き放した。
その大勢を保ったまま最後の直線コースへ。
「届かない・・・」
誰もがそう思った。
しかしその時。
ムチが入ったアーモンドアイが加速。
一気に差を詰め捉えて残り200メートル。
引っ張られるかのようにコントレイル、デアリングタクトも上がってきた。
残り100メートル。
偉大な先輩を超えるべく追いすがるコントレイルやデアリングタクト(と他2頭)。
必死に逃げるアーモンドアイ。
そのままゴールイン。
アーモンドアイ1着、コントレイル2着、デアリングタクト3着
死力を尽くした三冠馬たちの激闘を制し、歴史を作ったアーモンドアイの戦いは有終の美で幕を下ろした。
「これを見たかった。」
決着後、実況の福原直英が口にしたこの言葉は、この戦いを見守った全ての競馬ファンの心からの思いだ。
まさに事実は小説よりも奇なり。
あまりにも出来過ぎていて描きたくても描けないような物語が現前した。
最強は私だと言わんばかりのアーモンドアイの最後の輝き。
涙なしでは見られなかった。
思えば、たくさんの人の尽力がなければ、こんな奇跡的な1日は完成し得なかったであろう。
コロナ禍にあって無観客ながら例年通り国内のレースを開催してくれたJRA関係者の決定がなければ、三冠馬は誕生しなかった。
ローテーションがきつい中で出走を決意し、仕上げてくれたアーモンドアイやコントレイルの関係者がいなければ、こんなに手に汗握るレースにはならなかった。
この一戦に向けて懸命に動いてくれた全てのホースマンに敬意を表したい。
レースを引っ張り最後まで盛り上げてくれたキセキ、三冠馬3頭に最後まで追いすがったグローリーヴェイズやカレンブーケドール、その他全ての出走馬に感謝したい。
コントレイルとデアリングタクトは来年以降、私たちにどんな物語を見せてくれるのであろうか。
日本競馬界の悲願を達成してくれると信じている。
そして最後に。
たくさんの夢をありがとうアーモンドアイ。
もう文句はない。
間違いなく最強だった。
輝く我が名ぞ阪神タイガース
世の中には「ドM」と呼ばれる人種が一定数存在する。
それは多種多様な領域に於いて発現するものであり、70億人いれば70億通りのマゾが見受けられるわけである。
何を隠そう私もドMである。そして私のマゾが遺憾無く発揮される分野が、プロ野球である。
そう、私は阪神ファンなのである。
阪神タイガース。読売ジャイアンツと並び職業野球黎明の時代から我が国の野球の歴史を支えてきた伝統ある球団であるが、ジャイアンツの栄光の影で辛酸を舐め続けてきた。
古くは王・長嶋を中心に驚異的な強さを誇った日本シリーズV9時代。当時の子供たちが好きな物を3つ並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉はもはや説明不要であろう。近年でも阿部慎之助、坂本勇人、岡本和真などコンスタントにスターを輩出し、その人気は衰え知らずだ。巨人ファンはスターの躍動に息を呑みながら、勝利の美酒に毎年のように酔いしれる。羨ましい限りである。
一方で阪神タイガース。
長い歴史の中で日本一はただ一度。そう、並び称される巨人が9連覇をも果たした日本シリーズで一度しか勝てていないのである。縋るべき過去の栄光といえば、1985年のその日本一にまで遡ってしまうのである。だからこそいつまでも、この年の主力としてチームの躍進を支えたランディ・バースに拘泥してしまうのである。メディアもファンも、毎年のように来日しては帰国していく体の大きな外国人助っ人野手を「バースの再来」と持て囃してはその期待値とのあまりの乖離に落胆するのを、この1985年から早35年も繰り返しているのである。(そもそもバースが偉大すぎてその期待値を越えられるような助っ人はそうそういないが、バースとの比較抜きにしてもからっきしな成績しか残さない外国人ばかり連れてくる阪神のスカウトの目はある意味一級品である。)
だが、阪神タイガースの悲惨さはそれに留まらない。巨人がコンスタントに生え抜きのスターを輩出している裏で、近年阪神から生まれた生え抜きのスターは赤星憲広、鳥谷敬、藤川球児ぐらいのものではないだろうか。(個人の見解です。)よく巨人は資金力にものをいわせたFA戦略にしか目がなく、育成力が低いなどと言われるが(私が勝手に言っているだけかもしれないけれど)、それは超特大ブーメランとして阪神タイガースに突き刺さってしまう。
また、1990年代には目も当てられない暗黒時代を経験した。名将野村克也をして3年連続最下位という低迷ぶりだった。
2000年代には二度リーグ優勝したものの、日本シリーズで勝ちきれない。それどころか、2005年の日本シリーズ、対ロッテにおいてあまりにも有名であまりにも不名誉な大記録を打ち立ててしまう。
そう、ご存知、33-4である。
悲しくなってきたので説明は控えるが、おそらく永久不滅の記録だろう。24連勝したあの田中将大も恐れおののくレベルの大記録だ。
他にも不名誉な伝説はいくつもある。前述のバースの再来は毎年メディアの用いる常套句と化し、それが軒並み活躍しない様を揶揄して「バースの再来の再来」などと言われている。
2008年には開幕から首位をひた走り、優勝マジックが点灯。ファンもメディアも阪神の優勝を信じて疑わず、「Vやねん!」と銘打たれた出版物まで刊行された程だ。その後、嘘みたいに負けまくり巨人に大逆転優勝を許してしまう。
(余談だが、件のVやねん!はこの通り今や1万円越えのプレミア商品である。さすがは関西人。商魂がこもっている。)
阪神ファンはフラグ建築とお笑いが大得意なのだ。
ここまで沢山書き連ねてきたが、つまりまとめるとこうである。
阪神タイガースは弱いのである。
巨人やソフトバンクのキャンプ地である宮崎で生まれ育ちながら、なぜ阪神ファンになってしまったのか。ドMだからとしか説明しようがないのである。巨人に負けて負けて負けまくって、外国人野手を外して外して外しまくって、即戦力外ドラフトを繰り返して、エラーにエラーを重ねて、他球団ファンに馬鹿にされて。それがもはや癖になってしまっている部分がある。
だが、私は多分一生阪神タイガースが好きだ。
これからも、負けたらこの世の終わりのように絶望し、勝ったら優勝したかのように狂喜乱舞する躁鬱な野球ファン人生を送っていくのであろう。
今年もダメかもしれない。ライバルの巨人が開幕から首位をひた走る一方で阪神は最下位をひた走っている。。。
それでも!!
空の青さを知る人よ
時折ふと思うことがある。
子どもの頃の自分と今の自分は本当に連続しているのだろうか、と。
記憶は共有している。確実に覚えている。
でも、心は入れ替わるものだ。人の考え方は時を経て180度変わりうるものなのだ。
昔、赤が好きだった私。今、青が好きな私。
それらは私という箱に入った別物であるのではないか、などと考えてはいつも途中で思考を放棄する。
見上げれば、今も昔も、青い空が広がっている。
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映画『空の青さを知る人よ』を観てきた。
13年後の未来にタイムスリップしてきた18歳「しんの」という少年と、現在31歳の彼、慎之助が同じ世界線に存在し、向き合う。
これが話の軸だ。その周りで主人公たちと関わり、愛だとか、恋だとか、青春の光を取り戻す話が展開される。青春群像劇に欠かせない恋愛要素も楽しめる映画であったが、それはそれとして。
夢見る18歳と中途半端に夢を妥協した31歳。
そしてその間に立つ22歳にあと2日に迫った私。そんな構図で物語を眺めた。
現在絶賛就活中の私。自分という人間に嫌というほど向き合わされる日々を送っている。
18歳の頃の私も、思えば真っ直ぐに、未来を微塵も疑わずに追いかけていた。
映画の中で幾度となく出てきたガンダーラの歌詞。
「そこに行けば
どんな夢も かなうというよ」
知らず知らずのうちに思い込んでいた。
この街に、東京に、夢を叶える魔法が掛けられていると。
そうして大学に進学して一年目。
「井の中の蛙、大海を知らず」
そんな言葉が毎日毎日私の身体に漬物石の如くのしかかっていた。
思うように足を運べない、無情に過ぎ去る日々。半ば夢に裏切られたようなそんな気がしていた。自分の弱さを受け止められるほど大人にもなりきれていなかった。
だからいつも環境のせいにして逃げた。
閉じられた田舎から飛び出した果てだった東京がいつしか皮肉にも、逃げ場のない牢獄のような存在になってしまっていた。
透明な空気を吸い込んで真っ直ぐに育ってきたはずの私にこれでもかと流れ込んでくる澱んだ空気。酸欠状態だった。
逃げ場を探すことばかりに気を取られているうちに前に道が見えなくなった。
そして、予定調和的に留年することとなる。
人生初めての大きな挫折だった。
現実は、非情だ。
しんのと慎之助の別人のような姿は、そんな自分の姿に重なるものがあった。
しんのは、13年後の不甲斐ない慎之助を責める。
慎之助はそんな真っ直ぐなしんのに腹を立てる。
劇場で、小さな子どもが母親にこう尋ねていた。
「どうして慎之助はしんのに怒ったの??」
なんだか目を背けてきた物を投げつけられたような気がした。
まだ夢と現の区別もつかない小さな子どもの無垢な疑問。
しんのに対して腹を立てる慎之助に、当然のように感情移入してしまっていた私。
慎之助は、しんのである。紛れもなく。たくさんの現実を突きつけられ、考え方が変わってしまっても、どこかに必ず変わることのない、真っ白な心と滲んでしまった青い思い出が残っているのだ。
そして、私も、いくつになっても私であることに変わりはないのであろう。心のどこかで息を潜めた夢追う私を思い出させてくれた、そんな映画だった。
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「井の中の蛙、大海を知らず」
この言葉の後に、こう続けたものがいる。
「されど、空の青さを知る」と。
現実を知った。多分大人になった、なってしまった。
それでもあの頃見ていた空の青さを忘れてはいないし忘れてはならないんだと思う。時に雲が空を覆ったとしても。
今日も変わらず青空は広がっている。